宮沢りえさんは1984年11歳に
モデルデビューし、次に雑誌
『週刊セブンティーン』の
表紙モデルへ。
1987年にはテレビCM→三井のリハウスの
初代リハウスガール白鳥麗子役を
やって人気になり、
トップアイドルとなります。
その後は社会現象にまでなった
写真集を発売。
いま現在にいたるまで、芸能界のトップを
走って活躍している宮沢りえさんですが、
母親が毒親でヤバいということはご存知ですか?
そこで今回は、
宮沢りえの母親について
詳しくまとめていきます!
宮沢りえの母親は誰?
宮沢りえさんの母親の名前は
宮沢光子(みつこ)といいます。
通称は「りえママ」
1949年生まれで、
2014年9月23日に亡くなりました。
身長は166cmで5人兄弟の末っ子。
宮沢りえの母親はどんな人?

出典元:“りえママ”光子さん “一卵性母娘”、一時は確執も孫の誕生喜ぶ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
宮沢りえさんの母親は若い頃に
六本木の高級クラブでホステスをしていて、
ホステス時代の宮沢りえさんの母親の
きれいさは女優の加賀まりこさんも
「りえちゃん以上の美貌でスタイルも
よくてまわりの男が全ての憧れの的でね。
高嶺の花のような人だったわ」と、
発言していたそうです。
宮沢りえと母親のエピソードは?
宮沢りえさんの母親の宮沢光子さんは
若い時に店にお客さんとして来ていた
オランダ人の男性と出会い。
お付き合いを始めます。
その方がのちの宮沢りえさんの父親です。
その後はオランダ人の男性と結婚し
オランダで生活しはじめます。
しかし、オランダの生活がつまらなすぎて
宮沢光子さんは、2,3ヶ月で日本に帰りました。
帰国後、1973年4月6日、
宮沢光子さんは宮沢りえさんを出産します。
オランダ人の父親は、宮沢光子さんを
呼びに日本にきますが文化の違いから
2人は離婚します。
そして、生まれたばっかりの宮沢りえさんを、
お金を稼ぐために親戚にあずけます。
この親戚で暮らしていた時期が、
宮沢りえさんは1番に楽しかったと
のちに発言しています。
母親とは別々の生活になりますが、
宮沢りえさんは親戚の
温かい愛情を受けて育ちます。
それから、宮沢光子さんは宮沢りえさんを
引き取り、東京のアパートに住みます。
ここで、宮沢りえさんをかわいいと
思った友人のすすめで、
宮沢光子さんは宮沢りえさんを
芸能界デビューさせようとします。
クラブのホステスをしていた関係からか、
高級寿司屋の店主と仲が良く、
この店に宮沢りえさんをよく連れていました。
そこに通う芸能界の人の目にとまり
宮沢りえさんはスカウトされました。
宮沢りえさんは、事務所に所属し、
芸能界デビューし、その後、人気を得ました。
宮沢りえさんの努力や恵まれたスタイルも
あると思いますが、
宮沢光子さんの努力もあったからでしょう。
一般常識では考えられませんが、
毒親である宮沢光子さんは、
宮沢りえさんに枕営業を
させていたのではないかというウワサがあります。
我が娘に枕営業させるなんて考えられませんが
そのように言われています。
宮沢りえさんは17歳の時にSantaFeという
写真集を出しており、おそらくここら辺から
枕営業をさせられていたのではないかと
言われています。
絶対にスターになると我が子の才能を
見抜くやいなや、宮沢りえさんの母親は
生活や仕事を徹底的に支配しはじめます。
枕営業まで指示されていたとは、
当時10代の宮沢りえさんがいかに
くるしんでいたか、
想像するだけでも嫌気がしますね。
宮沢りえさんはビートたけしさんや
勝新太郎さんに枕営業したと言われていますが、
ビートたけしさんは宮沢りえさんを
傷つけないように「早く帰って寝なさい」と
優しく帰してあげたそうですよ。
宮沢りえの母親の壮絶な最期!
宮沢りえさんの母親は、2014年9月23日、
肝腫瘍(かんしゅよう)でお亡くなりました。
以前から宮沢りえさんの母親は
肝腫瘍の診断を受けていましたが、
本人の意志により自宅で治療していました。
そして、宮沢りえさんの母親が亡くなられた時、
宮沢りえさんは舞台の本番中で、
宮沢りえさんは光子さんが亡くなった時に、
つぎのようにコメントしていました。
「最期に、生きるということの美しさと、
その価値を教えてもらいました。
そういった全ての宝物を胸に私は女優として、
母親として、女性として惜しみなく
生きようと思います」
さらにテレビ番組チマタの噺に出たときには、
「息を引き取る瞬間も一緒に居られた。壮絶だった。
息を吸って吐くがすごいことなんだと教えてくれたし、
命に限りがあると告げられた人に誠実さを
欠いちゃいけない。すごいモデルがいたから。」と、
母親から壮絶な生きざまを学んでいた。
これまで、小さい時は離れて住む時期があり、
埋め合わせるかのように親子二人合わせてで
芸能界で仕事をしてきました。
宮沢りえさんの母親は自分ができなかった
芸能界での活躍を娘である宮沢りえさんに
やってもらいたかったのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、宮沢りえの母親について
詳しくまとめてきました。
若い時は超絶美人。
芸能界デビュー前から
かなりヤバいエピソードがある
我が娘を芸能界でトップにしたいと
すごい頑張っていた。
ということが分かりましたね!
自由で勝手な母親に翻弄されながらも
ストレートに育った宮沢りえさんは、
その母親がなき、今からは彼女主導の
新たな人生が始まるんじゃないかと思います。
宮沢りえさんについては、
今後も注目していこうと思います!